塾生の声
三浦さん(31歳)
元々麺好きな家庭で育ちました。特に麺好きな父のモットーは「一日一麺」。朝からラーメンを食べに行く程に麺好きが多い青森県に生まれ、啜る日々を送ってきました。大学に入学し東京で暮らすようになると麺好きは加速し、一日3食すべて麺類ということも珍しくなくなりました。社会人になるとラーメンの食べ歩きで都内を徘徊するようになり、そのうち蕎麦、そしてうどんと奥深き麺の世界にどんどん引き込まれて行きました。まずお伝えしたいのは麺類の素晴らしさです。この世に多くの食べ物はあれど、麺類には必ず人間の作為があります。どんな粉を使いどんな切り方をしてどんな味、食感を伝えたいのか。他の食べ物よりも美味しさのピークが短い麺類ですが、最高のタイミングで出された麺を啜る一瞬は何にも変え難いものです。一本の麺に込められた作り手の思いを慮りながら啜る、その刹那的な快楽の虜です。もう抜け出せません。
すみません、少し熱くなりました。
そんな麺類の私がうどんを打つようになったのは、海外での生活を経験したことがきっかけでした。初めて旅行したハワイ。脂っこい食事に疲れてしまい滞在後半はほぼ丸亀製麺でした。
ハワイとうどんの取合せは意外な程馴染んでいて、海外でも安定して美味しいうどんのポテンシャルを感じました。 その後仕事でドミニカ共和国に半年滞在する機会があり、そこで最も苦しかったのが美味しい麺を食べれないことでした。
巷で食べられるのは限界まで伸びたスパゲティで、乾麺はパスタ以外手に入りません。
自分が如何に環境に甘えていたかを思い知りました。 辛うじて売られていた韓国製のインスタント麺で命を繋ぎましたが、世界の何処にいても美味しい麺が食べられるようになりたいと強く願うようになりました。
コロナ騒ぎで帰国後はその思いが高じ、実家でパスタやラーメン作りに挑戦していましたが、妻の就職で再度東京に住むことになり浅草へ。 本業である音楽に戻ろうにもコロナで仕事が無く、家にいても何となく気まずいので散歩に出た先でうどん塾と出会いました。
出ていた看板が気になって検索をしてみると、尖っていそうな人物。直感が「おもしろい」と告げていました。
3期生としての2ヶ月を終えた今、自分の直感は正しかったと言えます。知識ゼロからのうどん打ちは戸惑いも多かったですが、新しいことに挑戦する喜びがありました。
最初はよく分からなかった魅せ技も、気付くとやりたくて堪らなくなっています。打つ前と後では見える世界が変わりました。 これで世界のどこにいても美味しいうどんが打てます。
これからは自分のスタイルを探しながら、大切な人達にうまいと言ってもらえるうどんを打っていきたいと思います。適度な長さと太さ、麺線良くコシあるうどんと人生を目指し打ち続けていく所存です。 新しい挑戦は人生を豊かにしますし、うどんには可能性があることを身をもって実感しました。 うどん、好きです。
佐野さん(36歳)
出身地である名古屋のご当地料理を振舞うイベントをずっとやっていたので、「きしめん」や「味噌煮込みうどん」を自分で打てたら最高だなと思い、参加を決めました。
もともと小野先生のうどんは私の知人周りでは評判で、その腕も知っていたので募集がかかった時は迷わず手を挙げました。私の回はプロレベルの方や既に出張でうどん打ちをやられてる方がいらっしゃって、ど素人の自分としては、プレッシャー。。。と思いきや、逆に気が楽でした笑
その理由の一つが「最低限の知識があればある程度は美味しいものが出来上がる」から。
そして、その方法は1回目の授業でいきなり教えてもらえるんです!
はじめて打ったうどんは極太の幅バラバラながっちり麺でした。が、それはそれで武蔵野うどんやほうとうのような感じで、普通の店には置いていないような個性的な麺として美味しく食べられたんですよね。
もう一つ、このうどん塾は「うどんとはこう言うものだからこう作るのが正解」という縛りがないのです。
もちろん麺線が綺麗な麺やカッコいい打ち方をめざすとなると訓練は必要ですが、基本的にどんなうどんをどんな打ち方をするのかは自分で決められる。それに向けて先生がサポートしてくれる感じです。
私の場合はうどんではなく「きしめん」を目指していたので、みんなとは違う道を探りながら進んでいった感じでした。 講義ではうどんは教えてもらえても「きしめん」は教えてもらえないので。 ですが自分のうどんを打つと言う目標ができて、私の場合それがきしめんで、それに向かってひたすら理想を追いかけていたら、特にプレッシャーを感じることなく、自分に集中して打ち込むことができて、結果的にでさが卒業試験でも2位の成績で卒業することができました。
大袈裟な話ですが「自分の道は自分で切り開く落という姿勢」というものをうどんを通して再確認した気がします笑
また、この塾には「魅せるうどん打ち」が学べると言う側面があります。 最初は人前で打つ気なんて全くなく、そんなの学んでもなぁと思ってたんですが、そう言う技術も付いてくると自信を持って見せられるようになり、度胸もつきましたね。
卒業後は「煮込みうどん」も独学で覚えて、きしめんと共にイベントで振舞得るようになったり友人のバースデーで出張うどん打ちをするなどして、好評いただいです。 公私共に死ぬまで使える武器が一つ増えた感じです。
道野さん(56歳)
ふと仕事で経ちよった香川県の高松で「手打うどんセット秘伝書付」を見かけ購入しました。 家に帰り、速攻でうどん作りを、始めました。
始めてのうどんは、「太くて粉っぽかった」と記憶していますが、その時の家族の心優しい「美味しかった」が悔しくて、本気で美味しいと、言わせたいと思いうどん作りの世界に入りました。秘伝書と、ネットを頼りに1年程独学でうどんを作り、何とか家族も文句を言わず食べてくれるようになりました。
今度は、「家族に作ってくれ」と言われたいと思い、たまたまツィッターで見かけた浅草手打塾に参加しました。たった2ヶ月の塾生活ではありましたが、私にとって全てがうどんとの新しい出会いでした。塾に通っている最中に、塾長が「ハナタカ」にTV出演した時、私は博多に出張していました。
始めての居酒屋で、飲んでいました。 飲んでいるその場に塾長がテレビに出てましたので、彼の弟子であることで本当に私が「鼻高」で博多の皆と楽しく飲んだことが思い出されます。
卒業から半年が経ち、月に15kg程度うどんを打ち続けています。 そのかいあって、家族から「今度はいつ出来るの?」と言われるようになりました。
また、知人にも味見をお願いし、近所の居酒屋さんで手打のうどんを食べる会も発足し楽しく「うどんライフ」を過ごしてます。
人生100年と言っていた塾長の言葉が、心に突き刺さる今日この頃です。
小川さん(65歳)
長年のサラリーマン生活を終えて62歳で退職、大好きなうどんを打ち始め、有名なうどん店で研修を受けたもののできなかった「すかし打ち」
小野ウどんさんが始めた浅草手打ち塾で「すかし打ちができるようになります」と書いてある!?では受けようと1期生に参加。
修行棒という怪しげな用具で日々鍛錬し、2カ月目からはアルバイト先のうどん店でも「すかし打ちもどき」でのみ打つようにしました。
卒業後、ある時から意識せずにすかし打ちになってました。うどんを打ち始めて3年もかかりました。
趣味で打っている方、論理的に手順を追ってすかし打ちを習得できますよ!!
今では月2~3回、たくさん打って知り合いやfacebookの友達に送って食べてもらってます。
退職してもうどんを通して多くの方と繋がっている楽しさ、サラリーマン時代のなかなか成果の出ないITの仕事と違い、すぐに「おいしい」と言ってもらえる喜び、失敗のないうどん打ちは実益を兼ねた退職後の趣味にピッタリです。
宇津木さん(30歳)
うどん塾に興味をもったキッカケは、武器作りの一環でした。うどん塾に入る前は、とにかく自分に自信がなかった。得意なことをみつけたい、武器を作りたいという気持ちが強かったけど、結局何をしていいのかわからず。 そんな時に、うどん塾をみつけ入塾しました。
結果的にうどんを打てるようになったのは勿論、自信がついた。今まで何の武器もなく周りに提供できるものがなかったけど「うどん打ち」という武器ができて、人に何か提供できるものができて 一つの自信がつきました。うどん塾をキッカケに、新しいことに踏み出す勇気と挑戦する大事さを学んだように思います。実際、「うどん打ってる」ってだけで、興味をもってもらえますし。
一番弟子 山縣(27歳)
小野ウどん一番弟子 山縣より
東京・千葉・茨城で出張手打ちうどん職人をしています。山縣尚史(やまがた ひさし)と申します。2018年9月から活動を開始し、今までに100件近くの出張を行ってきました。現在ではイベントやご家庭だけでなくオフィスや飲食店にも出張しています。
【小野ウどんに師事する前と後での変化】
単純に、「出張手打ちうどん職人になった」というのが変化ですね。もともと趣味でうどんを打っていたのですが、友人の紹介で師匠に出会って3ヶ月くらいで弟子になり、出張手打ちうどん職人としてのキャリアをスタートさせました。
ちなみに師匠と出会うまでうどんに職人がいる事さえ知らなかったので劇的な成長ではないかと思ってます。(笑)うどんを始めるまでは特に趣味や生き甲斐を感じるものもなかったので、個人としては劇的な変化だったと思います。
【出張うどんを打つようになって得たものや変化】
たくさんの人との出会いや機会を得ましたね。変化は、日々変化しているのでうどんのおかげかどうか分かりませんけど、「出張うどん」と打つ人生と、打たない人生とでは全く違った結果になったのではないかと思います。
何年か前まではうどんなんて意識して食べるようなものでもなかったのに、今では常に脳の片隅でうどんを考えてしまうのは、変化といえば変化ですね。あと、麺料理を食べる際、噛んだ時の麺の断面をいちいち確認するようになったのは変化だと思います。気にせずにはいられないことが増えました。